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道しるべ

4/28 京セラフィロソフィー

以前に「3人のレンガ職人」の寓話に触れたことがありましたが、それ以来、実のところ自分自身がこの話に何か心に掛かることとなっていました。

この例でいえば、レンガ職人が目指す「教会」や「お城」は、そのイメージの元になる姿は、当然ながら何らかの青写真や設計図があってからこその話でり、そうであるなら、それを当社に当てはめた場合に、その青写真や設計図は一体何なのか、又それが社員さん全員が自ら知るところとなっているのだろうか、、ということです。

そんなことを頭に思い描いていた折り、ふと目に留まったのが京セラ名誉会長の稲盛和夫氏のオフィシャルサイトでした。
 


今更ここで紹介するまでもない著名な方ですし、当然、氏の活動も存じ上げているつもりでいましたが、改めて読み進めてみれば、そこには多くの貴重な考え方やその言葉を知ることとなりました。

そこに記されている事実とそれを知っている「つもり」とは、雲泥の差があることを痛感しましたので、氏の言葉を引用させて頂きながら、私の考えを少しまとめてみたいと思います。

「稲盛が仕事について、また人生について自問自答する中から生まれてきたのが、京セラフィロソフィと呼ばれる稲盛の経営哲学です。
それは、実践を通して得た人生哲学であり、その基本は「人間としてこういう生きざまが正しいと思う」ということです。

              ー中略ー

集団が機能し、成果を生み出すためには、そのめざすべき方向が明確であり、その方向に集団を構成する全員のベクトルを合わせなければならない。
 
企業であれば、ベクトルを合わせるのは、経営理念や社是と呼ばれる規範である。そして、そのベースには、根幹となる考え方あるいは哲学が存在しなくてはならない。
 
私は、創業間もない頃から、一日一日を懸命に生きる中で学んだものを折に触れまとめて、「京セラフィロソフィ」として、全社員で共有するように努めてきた。

このような「フィロソフィ」は、一見企業経営にとって無縁なものに映るかもしれない。しかし、私は人間のあるべき姿を追求することにより、経営のよって立つべき座標軸も明らかになると信じている。
 
経営というものは、経営者の人格の投影でしかあり得ない。そのため、人間として正しい判断基準を持てば、それは必ず経営の実践の場においても有効に機能するはずである。」

この中で、上記青文字部分に関しては深く共鳴するところなのが明確に自覚できました。

今月当初、新年度でもあり、月初朝礼にて社員さんに向けて、改めて初心に帰る意味でも「会社に如何に貢献出来るか」を問い直す機会を持つ様に訓示しましたが、それを求めるならば、その前に「会社は如何に、又何に対して貢献するものなのか」を質さなければなりません。

会社での仕事を通じて「自分たちは、何のために働いているのか」「世の中にどんな貢献ができるのか」を問う事から、はじめて「日々の業務が売上、利益にどうつながるのか」や「より良い会社にするために、如何に社員がお互いを理解し合い歩みよるか」などのことに繋がって来ます。

まず、会社としての立ち位置を「具体的に」明確にする、それが全ての出発地点です、私も稲盛氏に習って同じくありたいと思いました。
2013-04-27 19:44:43 | RSS